今回は松坂慶子の生い立ち・国籍・父親と母親との関係について紹介していきます。
松坂慶子は韓国籍?
この時の松坂慶子は綺麗過ぎる。鳶色の瞳が良い。松坂慶子は元韓国籍の人か。
— 渡辺豪 (@yuukakubu) July 24, 2014
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松坂慶子は1952年、日本の東京都大田区で生まれています。
在日韓国人の父と日本人の母の元生まれた松坂慶子は、韓国籍でした。
松坂慶子の父親は韓国に戻らず、日本での永住を決意した結果なのでしょう。
両親は娘の将来を考え、1964年、松坂慶子が小学生の時、日本籍に変えています。
以降、松坂慶子は普通に日本籍の日本人として、現在も日本で生活をしています。
松坂慶子は人気絶頂期の1990年、ジャズギタリストの高内春彦と結婚。
松坂慶子の両親は収入格差含め、この結婚に猛反対。高内春彦をヒモと蔑み激怒。
マスメディアは松坂慶子の格差婚、親子喧嘩に飛びつき、連日の大騒動でした。
松坂慶子夫妻は騒動から逃れるように、一時、アメリカのニューヨークに移住。
親子絶縁状態の最中、松坂慶子の両親は「娘・松坂慶子への『遺言』」を出版。
両親の出生公開により、松坂慶子の父が在日韓国人だと、この時、知れ渡りました。
松坂慶子の父親は?
松坂慶子さんが結婚したとき、父親の英明さんは相手の高内春彦さんがどんな音楽家なのか、まったく興味がなかったように見えた。日本のワイドショーはそんな松坂英明さんの姿勢に乗っかって番組を構成してしまっていたから、ウェイン・ショーターと親交のある高内さんの本当の評価をしないままだった。 https://t.co/voXQ9LUc2F
— PLAYTHEBASS (@stan_jaco_clark) January 5, 2020
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松坂慶子の父、松坂英明は朝鮮半島より仕事を求め、1938年に日本に渡ってきています。
当時は「日韓併合」時代、朝鮮半島は日本だったので、松坂英明は日本人でした。
1945年、日本が戦争に負けた結果、朝鮮半島と台湾は日本ではなくなりました。
朝鮮半島は米ソ二大国によって、38°線から北を北朝鮮、南を韓国に分断。
松坂英明は、こうして日本敗戦後、米ソの思惑で、日本人から在日韓国人になりました。
松坂英明は朝鮮半島に戻らず、在日韓国人として日本で行商などで生計をたてていたそう。
事業詳細は確認できませんが、松坂英明はその後、日本で事業を起こしたそうです。
松坂慶子は、少女時代に多くの習い事を両親にさせられています。
両親がいかに教育熱心だとしても、時代を考えると、これは経済的余裕がなければ無理。
松坂慶子は私立の日大二高出身ですから、松坂英明には経済力があったと言えます。
そんな松坂慶子の父、英明は2007年12月、娘夫妻とは絶縁状態のまま他界されています。
松坂慶子の母親は?
松坂慶子の100才の母が大往生 “絶縁”を越えて自宅で看取るまで http://大女優なのに、立派。才色兼備で、その上、家族思いで献身的な生き方。すばらしい女性。だから、大女優にまでなったのか。
— Satoshi (@toshimex) April 21, 2021
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松坂慶子の母、松坂つね子は幼少時に身売りされた日本人です。
貧しさゆえ娘を身売りするのは、貧富の差の激しかった当時の日本では多かったよう。
そんな日本を変えようと、青年将校達による「二・二六事件」が起きたのが1936年。
松坂英明とつね子が出会う数年前の、日本を震撼させたクーデター未遂の大事件でした。
そんなつね子には、今では考えずらいですが戸籍がなく、そのまま日本は大戦に突入。
日本敗戦後、つね子は実在しない韓国人の戸籍を借り、自分の戸籍を日本で作ります。
戦後のどさくさとは言え、在日韓国人になった松坂英明の、これは尽力でしょう。
その後、松坂英明とつね子は法務省と交渉、1964年につね子の戸籍が回復します。
1964年は東京五輪開催、1965年は日韓国交正常化の「日韓基本条約」が締結した年。
松坂慶子の両親、英明とつね子の人生は、正に「激動の昭和」そのものと言えます。
英明他界後、つね子は絶縁していた松坂慶子夫妻と和解。
現在は松坂慶子夫妻と同居し、高齢のため介護を受けているようです。
松坂慶子の生い立ちは?
7月20日は松坂慶子さんの誕生日です。
生まれた時は低体重児で死にかけたそうですが、両親の「イングリッド・バーグマンのような綺麗な女性になってほしい」との願いから、多くの習い事をして女優として大成しました。鼻から口のラインが美しい人ですね。 pic.twitter.com/UTBW2WF6uv— 森永タミー (@tammy_morinaga) July 20, 2019
1952年生まれの松坂慶子は、早産で未熟児で生まれ、幼児の頃は体が弱かったそうです。
戦後アメリカ文化が大量に入ってきたので、両親は洋画を好んでいたのでしょう。
当時人気のハリウッド女優、イングレット・バーグマンの両親はファンだったようです。
娘の松坂慶子にも、バーグマンのような美しい女性になってもらいたいと願ったそう。
松坂慶子は少女時代は、おとなしくて静かな子だったそうですが、習い事はかけもち。
バレエ、ピアノ等、両親は溺愛する一人娘の松坂慶子に、なんでも習わせたようです。
松坂慶子は、小学2年生の時には「くるみ児童合唱団」にも加入していました。
松坂慶子が女優を目指したきっかけ
松坂慶子は、YouTubeの「Sakura Radio」出演時、女優になるきっかけを述べています。
中学の親友が「劇団ひまわり」に入って、なんとなくつられて入ってみたそうです。
当時の松坂慶子は背が高く、ボ〜ッとしていたので「うどの大木」と呼ばれていたそう。
そんな、もの静かでおとなしい文学少女だったそうな松坂慶子は、ここで激変。
演劇を始めてから、違う自分を引きだせるようになった事が、面白くなったそうです。
松坂慶子は1967年、テレビドラマ「忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ」でデビュー。
一部で #ウルトラセブン 第31話が #松坂慶子 さんのデビュー作とツイートしてる方がいますが違います。
デビュー作かどうかは分かりませんがセブン31話以前に『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』にレギュラー出演されています。放映は昭和42年8月から。
31話の放映は昭和43年5月5日です。 pic.twitter.com/zlhop8KzQ5— AndroMEGA (@AndroMEGA18) October 24, 2021
藤子不二雄の人気漫画「忍者ハットリくん」の、高視聴率番組のこちらは実写版の続編。
松坂慶子は「劇団ひまわり」に入ってすぐ出演していますので、大抜擢だったと言えます。
松坂慶子のデビュー時の作品や人気
松坂慶子さん
昭和45年 TBS「おくさまは18歳」
松木エミ 役 pic.twitter.com/ZYon6oUVuE— 美女びじょJapan (@bijyobijyojapan) August 25, 2019
テレビ出演は1967年に果たしていた松坂慶子ですが、映画デビューは1970年。
大映「高校生番長 深夜放送」での端役、小島ミコ役でした。
松坂慶子の初主演映画は、19歳の時に出演した1971年の大映「夜の診察室」でした。
経営難に陥っていた大映は、若い女優によるセクシー路線を主力にしていました。
「夜の診察室」も当初、当時の大映の人気女優、渥美マリ主演予定作品でした。
当時、渥美マリは関根恵子(現:高橋恵子)に次ぐ、当時の大映の客が呼べる人気女優。
ところが渥美マリは会社の経営事情で、裸を求める出演作品ばかりであることに反発し、「夜の診察室」を降板。
そして、無名だった松坂慶子に代役が回ってきたわけです。
残念ながら、当時無名だった松坂慶子初主演「夜の診察室」は、興行的に成功はしませんでした。
「夜の診察室」は、松坂慶子が有名になった後、カルト的に発掘された映画です。
そんな松坂慶子が一般的に注目されたのは、映画ではなくテレビドラマでした。
1971年、松坂慶子は最高視聴率30%超えの人気番組「おくさまは18歳」の後半から出演。
主演の岡崎友紀の恋のライバル女学生、松木エミ役でその美貌と色気が注目されました。
「おくさまは18歳」の続編、「なんたって18歳」で松坂慶子は2話からレギュラー出演。
松坂慶子のその後の人気ブレイクは、この頃始まったと言えます。
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