橋本聖子の家族構成まとめ!旦那と結婚した馴れ初めは?

2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピックで、競技大会組織委員会の会長を務めた橋本聖子。

1995年に参議院選で当選してから現在までの26年間政治家としてのキャリアを着実に積み重ねてきました。

2014年、フィギュアスケート選手の高橋大輔に対してのセクハラ行為が話題となったことで、問題を起こした人物として印象が強く残っている人も多いかもしれません。

政治家になる前は、スピードスケートと自転車競技でオリンピックに7度も出場したオリンピアンとしてとても有名な人物でした。

 

オリンピックの聖火にちなんで「聖子」と名付けられ、幼いころから父親には「絶対にオリンピックに出場させる」と言われて育ってきた橋本聖子。

メディアでは五輪の申し子とも呼ばれてきたことから、現役時代を知る人からすると政治家よりもアスリートとしてのイメージが強いのではないでしょうか。

 

根っからのアスリート人生を送っていた橋本聖子は、政治家とアスリートの二足のわらじを履いていた時期もあります。

実生活では1998年に一般男性と結婚しています。

今回は、橋本聖子の旦那と子供についてまとめました。

橋本聖子の家族構成


橋本聖子は夫・石崎勝彦との間に授かった3人の子供と、夫の連れ子である3人の母親です。

自身が生んだ3人の子供たちにつけられたキラキラネームが当時話題になりました。

家族家族情報
石崎 勝彦(いしざき かつひこ)
橋本 聖子(はしもと せいこ)
長男不明(連れ子)
長女不明(連れ子)
次女不明(連れ子)
次男亘利翔(ぎりしゃ)
三男朱李埜(とりの)
三女聖火(せいか)

橋本聖子と旦那の馴れ初めは?

橋本聖子の結婚相手は、石崎勝彦さんという一般男性の方です。

石崎勝彦さんとの出会いは、1995年に橋本聖子が国会議員になってすぐのことでした。

 

橋本聖子が仕事上付き合いの多かった農林水産省の大臣のSPを、石崎勝彦さんが務めていたことが2人が出会ったきっかけとなります。

出身地が北海道という共通点から意気投合

橋本聖子にとって、当時農林水産省の大臣を務めていた島村宜伸は「常々お世話になっている存在」だったといいます。

その島村宜伸のSPを務めていた石崎勝彦さんとは、必然的に顔を合わせることが多くなりました。

そして偶然にも、お互いの出身地が北海道という共通点があることがわかります。

 

また、石崎勝彦さんと橋本聖子の年齢は9歳差で、橋本聖子の10歳年上の兄に似た雰囲気を感じたそうです。

同郷であったことや、お兄さんに近い年齢ということで、石崎勝彦さんには安心感を抱き、早い段階で心を開くことができたそうです。

旦那の体格の良さに一目ぼれ?

石崎勝彦さんは学生時代にラグビーをやっていたということで、スポーツをする者同士、気が合ったとも言われています。

2人の結婚式に参列した人の話では、「旦那さんは縦にも横にも大きい」ことが明かされていて、SPを務めるだけあって大きな体格をしているようです。

そんな元ラグビー選手の石崎勝彦さんのたくましい身体つきや筋肉に、橋本聖子が一目ぼれしたという話もありました。

 

数々のエピソードから、出会ってから早い段階で意気投合し、スムーズに交際に至ったことがわかります。

橋本聖子のホームページ内のブログでは「主人は島村農林大臣のSPをしていたことから、自然にお付き合いをするようになった」と語られています。

また、結婚の決め手となった大きな出来事もありました。

橋本聖子が結婚を決めた理由は?

橋本聖子は国会議員になった1995年の時点で、現役のアスリートでもありました。

日中は議員活動をしながら、早朝や深夜などにトレーニングを行うハードな生活を送り、1996年にはアトランタオリンピックに出場しています。

国会議員とアスリートの両立は厳しく批判を受けた

国会議員でありながら、アスリートとしても活動する橋本聖子に対して、当初から世間では多くの批判の声がありました。

もともと国会議員は自分だけの意志ではなく、周囲の勧めがあったことが1番の出馬のきっかけでした。

そこで橋本聖子は参議院選に出馬するにあたり、「1996年に開催されるアトランタオリンピックを断念しない」という条件を出していました。

 

当時橋本聖子は31歳で、アスリートとしての体力はまだまだ残っており、出馬することでアスリートを諦めたくないという気持ちがとても強かったそうです。

関係者からは「トレーニングする時間は充分にとれる」と言われたことが後押しとなって出馬を決めましたが、いざ当選して仕事が始まるとそんな余裕は全くなく、睡眠時間を削ってトレーニングするしかありませんでした。

 

しかし、どんなにトレーニングする時間がなくても、世間から批判の声があっても、「アスリートとしての活動を国政に反映させることが自分の使命」と言い聞かせ、オリンピックに向けて練習してきたといいます。

世間だけではなく、政界からもスポーツ界からも「国会議員をしながらオリンピックに出られるほど甘い世界なのか」「議員としての仕事はしているのか」など厳しい声が多くある中、アトランタオリンピックで自転車競技の2種目に出場しました。

しかし結果は振るわず12位と9位という結果に終わります。

 

二足のわらじが政界とスポーツ界の両方の力になると信じてきましたが、最後まで批判の声は止むことがありませんでした。

結局「両方の世界を傷つけた」として、アトランタオリンピックを最後にアスリートを引退しています。

引退後はうつ状態に

議員選に出馬するときに「政治家になってもアスリートは辞めない」と決めていたにも関わらず、自分でアスリートを引退する道を選んでしまったことで、橋本聖子は精神的にひどく落ち込んでしまいます。

アトランタオリンピックが終わったあとは、「これまで自分がやってきたことは意味があったのか」と自問自答する日々で、遂にはうつ病に近い状態になってしまいました。

 

橋本聖子は当時の状況をブログで「何かに襲われるような夢をよく見た」「夜中にうなされて、姉に助けを求める電話を何度もかけた」と振り返り、とても追いつめられた状態だったことがわかります。

眠ることができず、日に日に痩せていく娘を心配して、身体の弱い母親が北海道から上京してきたこともあったそうです。

 

それでも橋本聖子は政治家を辞めようとは考えませんでした。

覚悟を決めて入った政治の世界から中途半端に逃げ出すことは、とても許せない行為だと思っていたそうです。

しかしその強い信念が、更に自分を追い込む形になってしまいました。

橋本聖子は当時を「理想と現実のギャップに苦しんだ」と話しています。

心の支えとなった旦那の存在


そんなときに心の支えとなってくれていたのが、後の旦那となる石崎勝彦さんの存在でした。

もともと人に悩みを打ち明けられず、自分の中で抱え込んでしまうタイプだという橋本聖子ですが、不思議と石崎勝彦さんにはどんなことでも話すことができたといいます。

これまで苦しんできた悩みを石崎勝彦さんに打ち明けていくうちに、落ち込んでいた精神状態はどんどん回復していきました。

 

この最も辛い時期を乗り越えたことで信頼関係も更に深まっていき、石崎勝彦さんから「生涯のSPをさせてほしい」とプロポーズされました。

橋本聖子がこれまでずっと悩み苦しんでいたことを知っていた家族は、その状況から救い出してくれた石崎勝彦さんとの結婚には大賛成だったそうです。

そして1998年、当時43歳の石崎勝彦さんと34歳の橋本聖子は、お互いの地元である北海道の神社で結婚式を挙げました。

橋本聖子の旦那石崎勝彦の職業は?

石崎勝彦さんは警視庁の警察官でした。

現在の年齢は65歳のため、すでに警察官は定年退職されています。

橋本聖子の旦那は農林水産省大臣のSP

石崎勝彦さんは前述でも触れた通り、農林水産省の大臣のSPを務めていました。

SPはセキュリティポリスの略で、いざというときは身体を張ってでも要人を守らなければいけない、常に緊張感と責任がつきまとう重要な仕事です。

 

SPになるためには警察官であることが大前提ですが、希望した全ての警察官がSPをできるほど簡単な仕事ではありません。

まず交番勤務などの実務経験があり、射撃や剣道などの訓練などを重ね、様々な試験を受けた結果、適正ある人物と認められる必要があります。

 

SPをしていた当時の石崎勝彦さんの役職は巡査部長でしたが、巡査部長はSPの教育や指導をする立場でもあるようです。

上級の幹部職でもあったことから、石崎勝彦さんはとても優秀な人物だったと考えられます。

定年退職後の再就職先は?


現在は既に定年退職している年齢ですが、2020年に橋本聖子が「夫婦共働きをしている」と発言していたこともあり、現在も石崎勝彦さんは働いている可能性があります。

特に現役時代に大臣のSPを務め、最前線で働いてきた石崎勝彦さんは、他の人にに比べてもタフな人物であると想像できます。

 

一般人のため現在の仕事についての情報は全くありませんが、警察官としてある程度の地位にいた人の再就職先は、警務部が斡旋してくれることが多いといいます。

石崎勝彦さんも大臣のSPを務めていたというキャリアがあるので、定年後の再就職先も、警察と繋がりのある民間企業や、公共機関かもしれません。

 

一般的に警察官は、定年後も再就職を選ぶ人が多いといいます。

警務部からの斡旋がない警察官は、ビルや施設の警備会社の警備員を再就職先に選ぶことが多いそうです。

橋本聖子の子供は何人?

橋本聖子には子どもが6人います。

34歳で結婚したにも関わらず、たくさんの子どもがいることに驚いてしまいますが、実は6人のうち3人は石崎勝彦さんの連れ子です。

石崎勝彦さんは2度目の結婚であり、前の妻とは病気で死別しています。

 

前妻と石崎勝彦さんの間に生まれた3人の子どもは、娘が2人と息子が1人であることがわかっています。

石崎勝彦さんは3人の子どもを連れて再婚したので、橋本聖子は結婚と同時に、3人の子どもの母親となりました。

自身の子どもは諦めていた


橋本聖子はアスリートとして、若いころから日々トレーニングに励んできました。

体脂肪率を9%まで落とし、ハードなメニューで身体を鍛え、身体を男性並みに改造していたことで、ホルモンバランスを崩してしまったそうです。

その結果、長い期間生理がきていなかったため、医師からも「子どもは産めないだろう」と言われていました。

 

そのため「自分が母親になることはない」と思っていましたが、石崎勝彦さんの連れ子に「お母さん」と呼ばれて夢のように感じたというエピソードも。

それだけでも充分だと思っていた矢先に、幸運が続きました。

3人の子どもを授かる

結婚して2年後、不妊治療の末にめでたく子どもを授かることができました。

当時橋本聖子は35歳で、一般的には高齢出産と言われる年齢です。

ただでさえ妊娠は難しいと言われていただけに、この妊娠は奇跡だと大変喜ばれたそうです。

 

しかし、当時はまだ国会議員の出産の事例がほとんどありませんでした。

橋本聖子の妊娠は国会議員としては2人目、参議院では初めてのことだったそうです。

前回出産したのは衆議院の女性で、50年も前のことでした。

 

そのため産休制度がなく、妊娠を理由に休む時は「その他(突発的な事故)」という欠席届を出したといいます。

国会議員が妊娠するのか」と驚かれ、周囲からのサポートもほとんどありませんでした。

結局出産の前日まで働き、産後は1週間で仕事に戻るという、驚異のスピードで社会復帰を果たします。

産後の肥立ちも良く、身体がすぐに動いたことも早く仕事に復帰できた理由の1つです。

何よりも国会議員という責任の重さを考えたときに「これ以上は休めない」と感じたそうです。

 

このスピード復帰に、当時同じように働く女性からは「産休を取りにくい世間の女性のためにも、国の代表として産後はしっかり休んで欲しい」という声が多く寄せられました。

 

そして1人目の女の子を出産して4年後には男の子、さらに2年後にも男の子に恵まれ、合計3人の子どもを授かりました。

石崎勝彦さんの連れ子と合わせると、3男3女の合計6人の子どもを育てる母親になりました。

橋本聖子の子供の名前は?

石崎勝彦さんは一般人のため、連れ子に関する情報は一切なく、子どもたちの名前も不明でした。

しかし、橋本聖子が出産した3人の子どもの名前は公表されており、珍しい名前であることから話題にもなりました。

1人目の子ども「聖火」さん

1人目の子どもを出産した2000年はシドニーオリンピックの開催年であり、橋本聖子もオリンピックイヤーに出産したいという夢を持っていたそうです。

念願叶い、オリンピックイヤーに産まれてきた女の子は「聖火」と名づけられました。

自分のようにオリンピックを目指してほしい」という期待も込めて命名したそうです。

2人目の子ども「亘利翔」さん


2004年に産まれた男の子は「亘利翔(ぎりしゃ)」と名付けられました。

 

2004年はギリシャの首都アテネでオリンピックが開催された年です。

珍しい名前で、メディアでは「キラキラネーム」「五輪ネーム」と言われていました。

3人目の子ども「朱李埜」さん

2006年に産まれた男の子の名前は「朱李埜(とりの)」です。

冬季オリンピックがトリノで行われたことが由来だと思われます。

 

自身の名前もオリンピックが由来していることから、子どもの名前もオリンピックに拘ってつけられたようです。

しかし、ふりがながなければ読むのが難しく、変わった名前と話題になりました。

ネットでは「橋本聖子のエゴ」「子どもが可哀想」という反応が多いです。

 

3人ともオリンピック開催年に出産しているということも、名前がオリンピックを連想させるという点からも、「子どもにもオリンピックに出場してほしい」という橋本聖子の思いが強く伝わってきますよね。

橋本聖子の子供の現在

橋本聖子と石崎勝彦さんの6人の子どものうち、4人が成人しており、2人が未成年であることがわかっています。

そして石崎勝彦さんと前妻の間の子どもは、3人とも既に成人しています。

1998年時点で既に子どもが誕生していることから、少なくとも3人の連れ子は23歳以上であることは確実です。

聖火さんは日大スポーツ科学部


2000年4月に産まれた聖火さんは、日大スポーツ科学部に在学とのこと。

過去、水泳選手の池江璃花子についてコメントしたときに、「(池江璃花子が入学する)日大スポーツ科学部に娘が通う予定」と橋本聖子が明かしたことで、娘の進学先が世間に知られることとなりました。

 

日大スポーツ科学部には、アスリートコースとスポーツサポートコースの2つのコースがありますが、聖火さんがどちらを選択しているかまではわかっていません。

 

しかしながら母親の精神をしっかりと受け継いで、聖火さんもスポーツに関わる人生を送っていることがわかりますね。

亘利翔さんは麹町中学校出身

亘利翔さんは産まれた年が2004年、2021年時点で高校2年生です。

現在は20歳位ですね。

現在亘利翔さんがどこの高校に通っているかは不明ですが、出身中学は現在の内閣総理大臣である岸田文雄や、その他多くの政治家や官僚などが卒業している、千代田区にある麹町中学校ということでした。

各政党の本部が立地し、日本の中枢機能が集中している永田町から1番近い中学校のため、政治家が多く卒業しているようです。

亘利翔さんが何かスポーツをやっているか気になるところですが、残念ながらこちらも明かされていません。

朱李埜さん


2006年に産まれた朱李埜さんは、現在は17歳で

兄の亘利翔さんと同じく麴町中学校に通っていると思われます。

聖火さんと亘利翔さんは、幼いころの写真が公開されていましたが、朱李埜さんは幼少期のころも含めて、これまでに姿が確認できる写真は1枚もなく、朱李埜さんについて公の場で話がされたこともありません。

 

橋本聖子は2019年に「子どもが不登校になったことがある」と発言したことがありました。

「何番目の子どもがどのような理由で不登校になった」など、事細かな説明はありませんでしたが、2019年は聖火さんが大学に入学したばかりの時期なので、不登校になるという可能性は低いように思えます。

そうすると高校生の亘利翔さんか、中学生の朱李埜さんが不登校の経験があると考えられますよね。

 

表立って働いている母親の些細な行動でも、子どもにとっては大きな刺激になってしまいます。

ただでさえ中学生、高校生と多感な時期でもあることから、子どもに関する情報の発信はとても慎重になっているのではないでしょうか。

子どもが学生であるうちは、橋本聖子から子どもに関する具体的な発言はないように思われます。

 

2030年の冬季オリンピック・パラリンピックには、日本も開催地に立候補しており、仮に実現するとなれば北海道の札幌市で開催されることになります。

出身地である北海道ということもあり、「もし組織委員会の会長の依頼があれば是非受けたい」と胸の内を明かしている橋本聖子。

その頃には橋本聖子は66歳ですが、このような発言からも、彼女とオリンピックの関係はまだまだ続いていくことを予感させます。

 

また橋本聖子は、まだ見ぬ孫にも「オリンピックにちなんだ名前をつけたい」と話しており、彼女にとってオリンピックは切っても切れない存在であることがわかります。

オリンピックイヤーに産まれた彼女の3人の子どもたちも、これからスポーツの分野で活躍する日がくるかもしれません。

橋本聖子のプロフィール

本名:橋本 聖子(はしもと せいこ)
生年月日:1964年10月5日(59歳)
出身地:北海道
最終学歴:駒澤大学附属苫小牧高等学校
身長:156㎝
血液型:B型

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