田村正和の家族構成!兄弟・父親・母親は?若い頃がイケメン【画像あり】

昭和を代表するイケメン三兄弟といえば、田村兄弟。

特に田村正和の美貌ぶりは時代劇、現代劇を問わずもてはやされました。平成、令和と時代が流れ、現在ではすっかり表舞台から姿を消した感否めません。

田村正和の若き頃のイケメンぶりを追ってみました。

田村正和の本名・年齢・身長・出身地は?【プロフィール】

  • 生年月日:1928年8月31日
  • 身長:170センチ
  • 本名:田村正和
  • 出身地:京都

田村正和の若い頃がイケメン【画像あり】

坂東妻三郎

田村正和は、坂東妻三郎の三男としてこの世に生を受けました。

父親とは9歳の時に死別しています。

芸能界入りは、1960年に兄、高廣主演映画「旗本愚連隊」の現場見学に行き、周囲に勧められ端役で出演したことがきっかけでした。

1961年亡き父坂東妻三郎が所属していた松竹大船と専属契約を結びます。

同年高校在学中に「永遠の人」でデビュー。

デビュー当時は暗い風貌で声のトーンは低く、通らないことから、俳優としての才能を危惧する声も多かったようです。

しかし、1970年に「冬の旅」で大ブレイクを果たし、1972年に「眠り狂四郎」1977年「鳴門秘帖」で、人気を定着させました。

眠り狂四郎

鳴門秘帖

デビュー当時の暗い風貌が、陰影の濃い哀愁を漂わせているようだと「哀愁の貴公子」と謳われるようになりました。

若さま侍捕物帳

1978年「若さま侍捕物帳」では、「哀愁の貴公子」のイメージとは違いすぎるキャラクターに出演を迷ったと言います。

結果的に出演することで、以降コミカルで明るい役柄に挑戦するなど、芸域が広がりました。

1979年に映画「日本の黒幕」に出演。

以降1993年まで映画には出演せずテレビと舞台中心に活躍しています。

そして1980年代に入りホームドラマでさらに注目されることとなります。

1980年に出演した「うちの子にかぎって」では、子供に翻弄される3枚目の父親役を演じ、お茶の間に新しい田村正和の一面を披露しました。

うちの子に限って

うちの子にかぎって」以降、「子供が見てるでしょ」「パパはニューズキャスター」など、コメディードラマに出演。

明るく茶目っ気のあるキャラクターが定着し、「哀愁の貴公子」と呼ばれた時代を思わず忘れさせるほどに田村正和はそのイメージを大きく変えました。

古畑任三郎

1994年人気脚本家三谷幸喜とタッグを組んだ刑事ドラマ「古畑任三郎」は和製コロンブスの異名をとり、10年以上に渡り演じ続ける田村正和ならではのハマリ役となりました。

その後、2007年に3年越しの出演依頼に答える形で14年ぶりに映画「ラストラブ」に出演。

サックスプレイヤーを演じるにあたり、第一人者と言われている稲垣次郎氏のもと、7か月に及ぶ特訓を受け、劇中では見事なサックスの腕前を披露しました。

ニューヨークを舞台に一度は夢に破れた田村正和演じるサックスプレイヤーが伊東美咲演じる若い女性と出会う中で、夢への情熱を取り戻していくラブストーリーとなっています。

人を愛する意味と夢を諦めない勇気を田村正和が演奏するサックスを耳にしながら感じることができる大人のラブストーリーとして話題になりました。

 

2009年には映画「そうか、もう君はいないのか」に出演。

同作品はモンテカルロで最優秀男優賞を受賞しました。

賞の受賞により俳優業に関して悩みが多い時期だったこともあり、再び俳優として歩む決意ができたと後に語っています。

2017年には1998年のスペシャル版以来となった代表作の1つ「眠り狂四郎」に出演。

眠狂四郎のファイナル作品として出演した同作品に、田村正和は初心に戻る意気込みで取り組んだと言います。

が、仕上がりにあまり満足できなかったようです。

そんな思いから発した発言が「芸能界引退」という形で世間に広まりました。

田村正和本人口からはっきりとした「引退宣言」をしたわけではありませんが、実際のところ、70を過ぎた田村正和がお茶の間から遠ざかっている感はいなめません。

もともとスレンダーな体型ではあるものの、ワイドーショーなどでさらに痩せた姿を取材されるなど、健康不安説も流れています。

田村正和の父親・母親は?

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田村正和の父親は坂東妻三郎です。坂東妻三郎は16歳の頃歌舞伎に関心を持ち、芸の道へ進んでいます。

15代目市村羽衛門に入門するも門前払いを食らい、その足で、11代目の片岡仁左衛門へ入門します。

厳しい下積み時代を経て、映画界へ飛び込みました。しかし映画界でも、無名のエキストラを続けており、不遇な時代を過ごします。

大変な美貌の持ち主だったこともあり、当時より、エキストラの中でも、目立つ存在だったようです。

長すぎる下積み生活に嫌気がさし、再び歌舞伎界に戻り1921年に「東京大歌舞伎・坂東妻三郎一座」を旗揚げ。

旗揚げ当時は景気も良く劇団自身も相当人気がありました。しかし1922年の春、仕打ちの失敗で一座は解散に追い込まれています。

坂東妻三郎は、どん底に落ち、着の身着のままで生家にもどるものの、妹は死去、弟も病床に伏していました。

そんな中、翌年、マキノプロの重役だった宮川斎が坂東妻三郎に目を止めマキノプロに俳優としてスカウトされます。

 

俳優としてこれが最後のチャンスとマキノプロに入社した坂東妻三郎は、数多くのわき役や切られ役を経験したのち、主役を務める俳優としての転機を迎えます。

マキノプロで人気俳優となった坂東妻三郎は25歳の時に坂東妻三郎プロダクションを設立し熱狂的なファンに支えられながら独立を果たしました。

坂東妻三郎自身が心血を注いだ独立後の初作品「雄呂血」(おろち)は制作にあたり、マキノプロからの妨害も相当厳しく、坂東妻三郎はかなり苦戦をしいられました。

当時を知る関係者の一人、環歌子は坂東妻三郎が、人知れず涙を流しながら頑張っていたと証言しています。

「雄呂血」は大ヒットし派手な立ち回りから、坂東妻三郎は「乱闘劇のバンツマ」としても知られるようになります。

 

その後数々のヒット作を生み、時代劇のスタアとして君臨。1958年に持病の高血圧を悪化させ、脳内出血で51歳という若さで惜しまれつつこの世を去りました。

田村正和の母親の名前は静子さんというようです。現在は末っ子である俳優の田村亮と一緒に生活をしているということです。

ネット上に情報が出てこないところを見ると一般人の女性のようです。坂東妻三郎が亡くなってからは、女で1つで三人を育て上げました。

田村正和は兄弟3人が俳優?名前は?

田村正和の兄弟は、田村三兄弟として芸能界では有名です。

長男:田村高廣

父親である坂東妻三郎が亡くなるまでは、サラリーマンとして会社勤めをしていました。

父親の死後、周囲に勧められ、父親の後を継いで俳優となりました。

坂東妻三郎が残した借金を返すために俳優になった父親の後を継いだ動機が借金返済であったことを後にトーク番組で明かしています。

2006年に脳梗塞のため77歳で急逝しました。

次男:田村俊麿

田村正和は、三男です。

次男は、実業家として知られている田村俊麿です。

田村俊麿も一時は実業家と俳優業を兼ねていた時代がありました。

兄弟の中で唯一芸能界へ進むことをしませんでした。

田村 亮

末っ子の田村亮は四男となります。

74歳になる現在も単発2時間ドラマを中心に現役で活躍しています。

ひとり息子である田村幸士も現在俳優として活躍中です。

異母兄弟:水上保広

水上保広は、田村兄弟の異母兄弟として有名です。関西を中心に俳優活動をしています。

水上保広は、1969年放送のドラマ「魔像・十七の首(魔像十七の首)」で田村三兄弟と共演も果たしています。

年齢は現在72歳。末っ子の田村亮より1つ年下です。

田村正和は兄弟4人の仲はいい?

かつて、田村亮が田村家の兄弟仲について語ったことがあります。

結論から言えば「兄弟仲は良好」

正月など、母親と同居している田村亮のもとへ兄弟が集まることも多かったようです。家族で集まった時には一切仕事の話はしなかったとか。

みな、それぞれ仕事に対してのポリシーや思いなど、それぞれをお互いが鑑賞しなかったことが兄弟仲を安泰にしていたようです。共演することもあったようですが、現場ではお互い「やりにくい」と会話があったことも。

田村正和が、収録中に体調不良で、役を降板せざる得なかった「勝海舟」の代役が田村亮に回って来たときにも、田村正和からは簡単な伝言のみ。

田村亮が好きなように演じてくれればいいと言われたことも明かしています。

田村正和の家族構成まとめ

  • 父:坂東妻三郎
  • 母:静子
  • 長男:田村高廣
  • 次男:田村俊麿
  • 三男:田村正和
  • 四男:田村亮
  • 異母兄弟:水上保広

坂東妻三郎には本妻である静子に4人の男児がいました。長男の高廣はサラリーマンから父親の借金を返済するために俳優に転職。

すぐ下の弟である俊麿も実業家の傍ら俳優をしていた時期があります。が、現在は唯一俳優業から離れ、いくつかの会社を経営する実業家として活躍しています。

田村正和は現在、表舞台から離れ、引退を決意したのではないかと囁かれています。

田村亮は、2時間の単発ドラマや舞台を中心に現在も現役で活躍中です。一人息子の田村幸士も、親譲りの2枚目俳優として活躍しています。

異母兄弟である水上保広も、俳優や語り部として活動しています。皆70代に突入し、表舞台でその姿を見ることは減りましたが、その雄姿を望むファンの声は続いています。

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